建築のタイムレスネス

高垣 建次郎

原点に立ち戻ること
聖ベネディクト会のキーラン院長が事務所を訪ねてきたのは、今から3年半ほど前の桜の季節であった。レーモンドの名作の一つである聖アンセルモ教会(JA33)を擁する東京の目黒に居を構えて50年目を迎えようとする頃のことで、この機に住み慣れた土地を離れ、以前から手に入れていた長野県富士見に移る計画を始めたばかりであった。それは、自然の中で祈りと労働の生活に身を捧げる共同体づくりという、観想修道院の原点に立ち戻る為で、7名の修道士たちの新たな住まいづくりのナビゲーター役を私がつとめることになった。
2週間ごとの定期的なミーティングでは、これからの修道院はどうあるべきか、日本の風土にふさわしい修道院とは、といった論議から始まり、個室の収納や台所の使い勝手の細部に到るまでの討議が何回も繰り返された。季節が変わるごとに敷地に赴くなど、全員でひとつひとつの事柄を丁寧に検証を重ねたが、それが実は共同体としてのこの会の、物事をすすめる基本であった。
一年近い積み重ねの中で、聖堂を中心に据えてそれを囲むように切妻屋根の建築群が回廊と渡り廊下で結ばれる原案が徐々に固まってきた。その段階で、この聖ベネディクト会の本籍地であるセント・ジョンズ修道院を訪れることになった。そこでのデザイン・コミッティーの承認を得る事と同時に、修道士たちの会話の中でしばしば登場するそこの建物の空間のスケールから家具や扉のデザインに到るまでの実際を、この目で確かめる必要が迫られてきたからである。


マルセル・ブロイヤーのメッセージ
霧がようやく流れ出したサガタガン湖のほとりの森をよこぎるように、朝の祈りの時を告げる鐘の音がこだましていた。大院長の特別なはからいにより、普段は修道士以外踏み入れることの出来ない領域の、しかも最も眺めのよい個室をしばしの宿として与えられた。
静寂な自然に抱かれた、祈りと労働の生活の一端を垣間見ることにより、1,500年以上も前に書かれた「聖ベネディクトの戒律」を、今でも生活の規範として修道生活を営んでいる人々の心のよりどころに出会えたような気がした。
セント・ジョンズ修道院は200人以上の修道士を擁する全米でも屈指の大修道院で、1960年代にはブロイヤーが聖堂をはじめ主要な建物を設計している。40年近くたった今もなお、彼の好んだタイムレスネスという言葉にたがわず、その優れたプロポーションと精緻なディテールによる空間が、時を超えた感動を与えてくれた。
ブロイヤーと言えば、80年代末頃のI.M.ペイとの会話が甦る。ニューヨークの事務所を訪れるたびに快く迎えてくれたペイは、当時の建築界の動向、特に雑誌を通して見受けられる我が国のバブル期の産物に強い懸念を示し、タイムレスな建築の大切さを熱く語ってくれた。その視点で最も優れた建築家はとの問いに、ペイは躊躇なくブロイヤーの名前をあげた。10年の歳月を経て、ここセント・ジョンズでようやくその答えの意味がわかってきた。


タイムレスネスへの呼応
建築のタイムレスネスをめざして、聖ベネディクト会修道院はブロイヤーのメッセージをよりどころとしながら、詳細設計の段階に入った。変わりゆくものと変わらざるもの、空間の構成、素材の選定、それを裏付けるディテール、その全てにおける周到な取り組みが求められた。
外壁のレンガは、外断熱工法への対応と同時に、経年変化の中でより質感が増していく素材として選ばれた。赤みを抑えたしっとりとした色合いと、自然な風合いを求めて、いくつかの選択肢の中から英国産のものを輸入した。屋根は、当初は予算の制約でカラーベストだったが、耐候性の点からなんとしてでも天然のスレートを使いたいとの願いが叶って、あるメーカーの資材置場に眠っていたパネル状のものを格安で入手する事が出来た。
エントランスコートからはその変わらざるものの素材感がよくつかめる。長いレンガの壁は、修道院の内と外の領域を分ける境界の役割を果たす一方で、その壁越しに全ての棟の屋根が見えるほど良い高さに抑えられ、訪問者を優しく迎え入れてくれる。セント・ジョンズのレンガ塀をヒントにしたこの壁は、かつての厳しく閉ざされた修道院のイメージが、時代の変遷によって変わりつつあることの象徴でもある。
そのレンガの壁を伝わって中に入ると、光が満ちあふれた回廊を通って、聖堂や僧会室をはじめ各棟へと導かれる。回廊とは対照的に陰を落とす各棟の廊下の天井ふところには、トンネル状の設備スペースが設けられており、ファンコイルや主要な配管・配線を納めてある。修道士が自在に登れる様にして、日常的なメンテナンスは勿論、機器や配管の交換や増設を容易に出来るようにした。このトンネルにより、機器の発生音を隠蔽でき、暗騒音が限りなくゼロに近い環境での防音対策に役立っている。
スイッチやコンセントの類は、一切コンクリートに打ち込まず、扉の脇や躯体のスリットに設けた木製パネルに取り付けた。単に躯体欠損を避けただけでなく、やがてこれらがサイズを含めて変化する事を前提とした。設備を変わりゆくものとして捉え、躯体と比べて遙かに短いライフサイクルの特性に十分に対応出来る事を狙っている。
これらは、我々が取り組んだことの一部にすぎないが、いずれも修道院のタイムレスネスに呼応して、建物が末永く生き続けることを願っての試みや挑戦に他ならない。この建築が、仮に今後幾世紀も泰然としてその姿をとどめることが出来たとしたら、それはひとえに辛抱強く討議を重ねた修道士たちの想いと、実施設計から監理に到るまで一切の妥協を許さなかった我がパートナーたちの熱意と、それに食らいついてきた施工者と職人たちの汗の結晶の賜物にほかならない。いつの時代でも、建築は人のこころによって創られる、という基本を改めて教えられる思いがした。
富士見での新しい共同体の修道生活がこの6月から開始された。さわやかな日差しが唐松林を通してやさしく差し込んでくる。ミネソタの森と湖の壮大なスケールは望むべくもないが、永く求めていた自然の中での祈りと労働の生活の夢はとりあえずかなえられた。ミレニアムを目の前にして、聖ベネディクト会修道院の新たな千年はまだ始まったばかりである。

「新建築」1999年12月号
「聖ベネディクト会 八ヶ岳三位一体修道院」